2008.02.01
最初で最後の・・・
今日から2月ですね(^^)
今日、2月1日は私たち夫婦にとっての記念日です。
今回の記事は、この記念日についてお話させてください(^^)
私たちが住む金沢には昔からの風習で『たもと酒』というのがあります。
結婚を決めたお互いの両親がお酒を持ってきて、お互い男女とそれぞれ両親が杯を交わし、
婚約の約束をするという古い風習です。
5年前の今日、私たちはこの『たもと酒』の杯を交わした、
いわゆる婚約記念日なんです(^^)
まあ、この後ちゃんと、結納をするんですが・・・
しかし最近は、この『たもと酒』をしない人のほうが多く、
実際、金沢に住んでいても、このような風習を知らない人が多いのです。
私たち自身も正直、知らなかった風習です(^^;)
そんな古い風習である『たもと酒』を何故、執り行うことになったのか・・・
私たちが『たもと酒』を交わしたのは、市内にある病院のホスピスでした。
当時、末期の癌でもう何日もつかわからなかった父。
この日が最初で最後の両家の両親のご対面だったのです。
父がホスピスに入ったのは、父が亡くなる2週間前のことでした。
ホスピスに入ったとき、父が母の前で泣いたそうです。
どうしても私の結婚のことだけが心残りだと・・・
せめて父が生きているうちに婚約だけは・・・と思い、
母がパパの両親に頼んで行ったのが『たもと酒』だったです。
父の病室で、私の父と父ヒロシは固い握手を交わし、
父は最後の力を振り絞るように言いました。
父 「娘をよろしくお願いします」
その言葉を聞いた、父ヒロシは、
父ヒロシ 「娘さんのことは、もう本当の娘のつもりでいます。安心なさってください」
そして安心するかのように、2日後の節分の日、父は帰らぬ人となりました。
最後まで娘の心配をしてくれた父。
父のためにも私は絶対に幸せにならなくてはなりません。
今まで生きてきた人生の中で、一番の心残りは、
ハナとサキを父に会わせてあげることができなかったことです。
父ヒロシは私の父のぶんまで、ハナとサキを、それはとても可愛がってくれています。
ただ、やっぱり間食にマックは納得できないけどね(^^;)
さて、昨日はちょっと写真を撮る事ができなかったので、
以前撮った未公開の写真で手抜きです(^^;)

やっぱりご飯はちゃんと食べないとね(^^)

カレー美味しいねぇ☆
今日も元気に食育♪食育♪

あれ?ハナちゃん何もってるの・・・??

アメ玉だよ〜ん!
今日も元気に間食♪間食♪(こらこら!^^;)

あれ?サキは何食べてるの??

ドーナツ・・・(−−;)
だって好きなんだもん!!
今日、2月1日は私たち夫婦にとっての記念日です。
今回の記事は、この記念日についてお話させてください(^^)
私たちが住む金沢には昔からの風習で『たもと酒』というのがあります。
結婚を決めたお互いの両親がお酒を持ってきて、お互い男女とそれぞれ両親が杯を交わし、
婚約の約束をするという古い風習です。
5年前の今日、私たちはこの『たもと酒』の杯を交わした、
いわゆる婚約記念日なんです(^^)
まあ、この後ちゃんと、結納をするんですが・・・
しかし最近は、この『たもと酒』をしない人のほうが多く、
実際、金沢に住んでいても、このような風習を知らない人が多いのです。
私たち自身も正直、知らなかった風習です(^^;)
そんな古い風習である『たもと酒』を何故、執り行うことになったのか・・・
私たちが『たもと酒』を交わしたのは、市内にある病院のホスピスでした。
当時、末期の癌でもう何日もつかわからなかった父。
この日が最初で最後の両家の両親のご対面だったのです。
父がホスピスに入ったのは、父が亡くなる2週間前のことでした。
ホスピスに入ったとき、父が母の前で泣いたそうです。
どうしても私の結婚のことだけが心残りだと・・・
せめて父が生きているうちに婚約だけは・・・と思い、
母がパパの両親に頼んで行ったのが『たもと酒』だったです。
父の病室で、私の父と父ヒロシは固い握手を交わし、
父は最後の力を振り絞るように言いました。
父 「娘をよろしくお願いします」
その言葉を聞いた、父ヒロシは、
父ヒロシ 「娘さんのことは、もう本当の娘のつもりでいます。安心なさってください」
そして安心するかのように、2日後の節分の日、父は帰らぬ人となりました。
最後まで娘の心配をしてくれた父。
父のためにも私は絶対に幸せにならなくてはなりません。
今まで生きてきた人生の中で、一番の心残りは、
ハナとサキを父に会わせてあげることができなかったことです。
父ヒロシは私の父のぶんまで、ハナとサキを、それはとても可愛がってくれています。
ただ、やっぱり間食にマックは納得できないけどね(^^;)
さて、昨日はちょっと写真を撮る事ができなかったので、
以前撮った未公開の写真で手抜きです(^^;)
やっぱりご飯はちゃんと食べないとね(^^)
カレー美味しいねぇ☆
今日も元気に食育♪食育♪
あれ?ハナちゃん何もってるの・・・??
アメ玉だよ〜ん!
今日も元気に間食♪間食♪(こらこら!^^;)

あれ?サキは何食べてるの??

ドーナツ・・・(−−;)
だって好きなんだもん!!
2007.11.07
久々に・・・
久しぶりに、ちょっとハナ☆サキから離れたお話を記事にします。
今、私は実母が経営する加賀友禅工房で働いています。
友禅の下絵をする職人として雇われたのですが、
最近はホームページの管理や小物のウェブショップ、
そして小物の新商品の開発をしています。
なので、仕事中はほとんどパソコンに向かっているのですが、
工房のパソコンの「マイピクチャ」のフォルダから、
懐かしいものを見つけました。

4年前の、私とパパの結婚式の写真です(^^)
なつかし〜(><)
私ってば、まだ子供産んでないから細〜い!(自分で言うな)
当時は体重40kgくらいしかなかったもんな・・・(遠い過去T_T)
写真を見ると、さもチャペルで式を挙げたように見えますが、
実は私たちは神前式です(^^)
私は式を挙げるときは神前と、前々から決めていました。
友達の結婚式などで、チャペルの式に参列することがあります。
花嫁が父親とヴァージンロードを歩くシーンになると、
本来なら感動するはずなのですが、私は今でも胸が締め付けられる思いになります。
私が今まで生きてきて、一番の後悔・・・
それは父に花嫁姿と孫の姿を見せてあげることが出来なかったことです。
父は私の結婚を前に癌に侵され他界しました。
つまり私は父の喪中に結婚式を挙げたのです。
父は私にとってかけがえのない人でした。
母を一番に愛し、娘たちを一番大切にしてくれました。
私が二十歳の頃、私は少しばかり荒んだ生活をしていました。
この頃は、母もよく泣いていた記憶があります。
そして私が大きな過ちを犯したとき、父が私に言いました。
「お前のことはもう信じられない。でも、私たちは絶対にお前を見捨てない」
私は父の言葉に号泣しました。
その日から私は生活を改め、両親の信頼を取り戻す為、
門限17時半の約束をきっちり守りました。
その後、今のパパと出会ったのです。
しかし、父は私の結婚式を見ることはありませんでした。
父のホスピスの病室で、パパと婚約の約束を交わす儀式をとりおこない、
その2日後、安心するかのように息を引き取りました。
花嫁が父親と腕を組み、ヴァージンロードを歩くところを見ると、
どうしても「私の父だって本当はここを歩くはずだった・・・」
と後悔する気持ちがこみ上げてきます。
本当なら花嫁を心から祝福してあげなければならないのに、
ダメですね(^^;)
子供が大好きだった父。
ハナとサキに会いたかったに違いありません。
せめて天国から私たち家族の姿を見てくれていることを
願っています。

今、私は実母が経営する加賀友禅工房で働いています。
友禅の下絵をする職人として雇われたのですが、
最近はホームページの管理や小物のウェブショップ、
そして小物の新商品の開発をしています。
なので、仕事中はほとんどパソコンに向かっているのですが、
工房のパソコンの「マイピクチャ」のフォルダから、
懐かしいものを見つけました。

4年前の、私とパパの結婚式の写真です(^^)
なつかし〜(><)
私ってば、まだ子供産んでないから細〜い!(自分で言うな)
当時は体重40kgくらいしかなかったもんな・・・(遠い過去T_T)
写真を見ると、さもチャペルで式を挙げたように見えますが、
実は私たちは神前式です(^^)
私は式を挙げるときは神前と、前々から決めていました。
友達の結婚式などで、チャペルの式に参列することがあります。
花嫁が父親とヴァージンロードを歩くシーンになると、
本来なら感動するはずなのですが、私は今でも胸が締め付けられる思いになります。
私が今まで生きてきて、一番の後悔・・・
それは父に花嫁姿と孫の姿を見せてあげることが出来なかったことです。
父は私の結婚を前に癌に侵され他界しました。
つまり私は父の喪中に結婚式を挙げたのです。
父は私にとってかけがえのない人でした。
母を一番に愛し、娘たちを一番大切にしてくれました。
私が二十歳の頃、私は少しばかり荒んだ生活をしていました。
この頃は、母もよく泣いていた記憶があります。
そして私が大きな過ちを犯したとき、父が私に言いました。
「お前のことはもう信じられない。でも、私たちは絶対にお前を見捨てない」
私は父の言葉に号泣しました。
その日から私は生活を改め、両親の信頼を取り戻す為、
門限17時半の約束をきっちり守りました。
その後、今のパパと出会ったのです。
しかし、父は私の結婚式を見ることはありませんでした。
父のホスピスの病室で、パパと婚約の約束を交わす儀式をとりおこない、
その2日後、安心するかのように息を引き取りました。
花嫁が父親と腕を組み、ヴァージンロードを歩くところを見ると、
どうしても「私の父だって本当はここを歩くはずだった・・・」
と後悔する気持ちがこみ上げてきます。
本当なら花嫁を心から祝福してあげなければならないのに、
ダメですね(^^;)
子供が大好きだった父。
ハナとサキに会いたかったに違いありません。
せめて天国から私たち家族の姿を見てくれていることを
願っています。

2007.08.10
セブン
Marinoさんのブログを読んででのことですが・・・
ヘソの緒をつけたまま捨てられていた、子猫ちゃんたちがいたそうです。
現在は仮親さんが献身的にお世話してくださっているそうですが、
まだ里親が見つからないそうです。
なかなか動物を飼うことが難しい世の中になってきてますよね。
喘息持ちやアトピー、アレルギーを持っている人も増え、
核家族、共働きで満足にお世話する余裕もない家庭が多くなってきてる中で、
里親探しはなかなか大変だと思います・・・。
ウチで飼ってあげられればいいのですが、ウチは小さいな子供がいる上、
昼間ほとんど家にいることもなく、
満足にお世話する環境が整っていないため、
里親になっても、正直、子猫ちゃんを幸せにしてあげられる、
自信がありません・・・・・。
動物を飼うことに対して、すごくためらってしまうのには、
私が結婚する前、家にいた『セブン』という、
柴犬混じりの雑種のワンコが大きく影響しています。
セブンが私たちのもとへやって来たのは、
私が高校1年生の時の7月でした。
妹のノリちゃんが「犬が欲しい!!」と両親にねだり、
しつこく説得した末、犬を飼うことを許してくれたのです。
セブンは沢山いる子犬たちの中の1匹でした。
元気良く走り回る子犬たちの中で1匹だけ大人しかったセブン。
黒目が大きくて、母もノリちゃんも一目ぼれし、
我が家にやって来たのです。
しかし、主にセブンの散歩へ行っていたのは、
犬を飼うことに最後まで反対していた父でした。
父は雨の日も雪の日も真夏の日も・・・
早朝と夜、散歩へ連れて行ってくれました。
昼間は、まだ元気に歩くことができたじいちゃんが、
散歩へ連れて行ってくれました。
私たちといえば・・・かわいがるだけでしたね(^^;)
しかし、私が21歳になった頃、父に癌の病魔が遅い、
じいちゃんも足を悪くしてしまいました。
それからは、早朝は私が、夜はノリちゃんが、
散歩へ連れて行くようになりました。
毎朝、5時に起きて散歩へ行くのは、すごく大変で、
特に雪の日はとても辛かったです。
しかし、今までに無いセブンに対する愛情が湧いてきたのです。
散歩へ連れていくようになってから、
それまで以上にセブンと遊ぶようになりました。
そして私が嫁ぐ前日、セブンはペットホテルの送迎バスに、
乗って行きました。
結婚式で家を留守にする間、ホテルに預けることになったのです。
この日が、私とセブンが家族である最後の日でした。
次に会うときは、家族としてではなくお客として会うのです。
そう思いながら送迎バスをいつまでも見つめていたことを、
今でも鮮明に覚えています。
私が嫁いでからは、6人と1匹家族だった私の実家は、
父が他界し、祖母は施設へ入り、私が嫁ぎ、
足を悪くした祖父は入退院の繰り返し・・・
セブンは1人で1日を過ごすことが多くなりました。
そしてセブンを病魔が襲ったのは、私がハナの出産を迎える、
2ヶ月前のことでした。
病名は癌・・・父と同じでした。
生まれつき、普通の犬と違う形の心臓を持ったセブンは、
手術することも出来ず、
入退院を繰り返し、そして我が家にやって来たのと同じ7月、
セブンを天に昇って逝きました。
実家の玄関の植え込みの中でひっそりと息を引き取ったそうです。
セブンと散歩へ行くようになってから、
セブンに対する思い入れが、さらに深くなっただけに、
すごく悲しくて号泣しました。
パパは「あんまり泣くと、お腹の子によくない」と言っていましたが、
そんなことは考えられないくらい悲しかったのです。
家族が減っていき、セブンの最後はとても寂しかったんだと思います。
そんな寂しい思いをさせるくらいなら・・・
お世話をすればするほど、別れが辛くなるのなら・・・
そう思うと、正直、動物を家族に迎え入れる勇気がわきません。
私の人生の中で、犬を飼うのはセブンが最後だと思います。
しかし、セブンは私たちに命の大切さと思いやりの心を、
私たちに教えてくれました。
セブンにすごく感謝しています。
ただ、私のかわいい娘たちをセブンに見せてあげられなかったのは、
とても残念です。
ヘソの緒をつけたまま捨てられていた、子猫ちゃんたちがいたそうです。
現在は仮親さんが献身的にお世話してくださっているそうですが、
まだ里親が見つからないそうです。
なかなか動物を飼うことが難しい世の中になってきてますよね。
喘息持ちやアトピー、アレルギーを持っている人も増え、
核家族、共働きで満足にお世話する余裕もない家庭が多くなってきてる中で、
里親探しはなかなか大変だと思います・・・。
ウチで飼ってあげられればいいのですが、ウチは小さいな子供がいる上、
昼間ほとんど家にいることもなく、
満足にお世話する環境が整っていないため、
里親になっても、正直、子猫ちゃんを幸せにしてあげられる、
自信がありません・・・・・。
動物を飼うことに対して、すごくためらってしまうのには、
私が結婚する前、家にいた『セブン』という、
柴犬混じりの雑種のワンコが大きく影響しています。
セブンが私たちのもとへやって来たのは、
私が高校1年生の時の7月でした。
妹のノリちゃんが「犬が欲しい!!」と両親にねだり、
しつこく説得した末、犬を飼うことを許してくれたのです。
セブンは沢山いる子犬たちの中の1匹でした。
元気良く走り回る子犬たちの中で1匹だけ大人しかったセブン。
黒目が大きくて、母もノリちゃんも一目ぼれし、
我が家にやって来たのです。
しかし、主にセブンの散歩へ行っていたのは、
犬を飼うことに最後まで反対していた父でした。
父は雨の日も雪の日も真夏の日も・・・
早朝と夜、散歩へ連れて行ってくれました。
昼間は、まだ元気に歩くことができたじいちゃんが、
散歩へ連れて行ってくれました。
私たちといえば・・・かわいがるだけでしたね(^^;)
しかし、私が21歳になった頃、父に癌の病魔が遅い、
じいちゃんも足を悪くしてしまいました。
それからは、早朝は私が、夜はノリちゃんが、
散歩へ連れて行くようになりました。
毎朝、5時に起きて散歩へ行くのは、すごく大変で、
特に雪の日はとても辛かったです。
しかし、今までに無いセブンに対する愛情が湧いてきたのです。
散歩へ連れていくようになってから、
それまで以上にセブンと遊ぶようになりました。
そして私が嫁ぐ前日、セブンはペットホテルの送迎バスに、
乗って行きました。
結婚式で家を留守にする間、ホテルに預けることになったのです。
この日が、私とセブンが家族である最後の日でした。
次に会うときは、家族としてではなくお客として会うのです。
そう思いながら送迎バスをいつまでも見つめていたことを、
今でも鮮明に覚えています。
私が嫁いでからは、6人と1匹家族だった私の実家は、
父が他界し、祖母は施設へ入り、私が嫁ぎ、
足を悪くした祖父は入退院の繰り返し・・・
セブンは1人で1日を過ごすことが多くなりました。
そしてセブンを病魔が襲ったのは、私がハナの出産を迎える、
2ヶ月前のことでした。
病名は癌・・・父と同じでした。
生まれつき、普通の犬と違う形の心臓を持ったセブンは、
手術することも出来ず、
入退院を繰り返し、そして我が家にやって来たのと同じ7月、
セブンを天に昇って逝きました。
実家の玄関の植え込みの中でひっそりと息を引き取ったそうです。
セブンと散歩へ行くようになってから、
セブンに対する思い入れが、さらに深くなっただけに、
すごく悲しくて号泣しました。
パパは「あんまり泣くと、お腹の子によくない」と言っていましたが、
そんなことは考えられないくらい悲しかったのです。
家族が減っていき、セブンの最後はとても寂しかったんだと思います。
そんな寂しい思いをさせるくらいなら・・・
お世話をすればするほど、別れが辛くなるのなら・・・
そう思うと、正直、動物を家族に迎え入れる勇気がわきません。
私の人生の中で、犬を飼うのはセブンが最後だと思います。
しかし、セブンは私たちに命の大切さと思いやりの心を、
私たちに教えてくれました。
セブンにすごく感謝しています。
ただ、私のかわいい娘たちをセブンに見せてあげられなかったのは、
とても残念です。






